開運生活 実施理由7

 

「35歳までに必ず結婚する」

 

 

これが父と交わした約束だった。

 

私の性格上、仕事も好きだしローンの返済は問題ないことはわかっていたらしい

 

 

ただ、結婚しなくなる可能性だけ心配していたみたい😂笑

 

 

って言ってもねえ

 

最近じゃ孫も産まれて親も嬉しそうだし、そのおかげであんなに上手く言ってなかった弟と両親の関係性も良好だし、犬は可愛いし

 

なんかもういいじゃん🙄

 

 

で、良い出会いもないから今まで遊んで仕事してを繰り返したわけだけど

親がいなくなったら流石に寂しいし、約束だから結婚はしないとなあって思い出したわけです

 

 

そこで結婚しても良いと思える相手に出会った時、ローンがあるって伝えると破断になる可能性もあるなあと

 

それを聞くと親は辛いよなあとか

 

 

そもそもお相手には正直に伝えるつもりだけど、いくら自分で返すとは言っても心配をかけさせてしまうし不誠実かなあと思ったり

 

 

 

できたら今両親からもらっている家賃も貰わずに、生活費を援助して今まで苦労した分お金の心配のない穏やかな生活をさせてあげたいなあとか

 

 

 

 

 

普段悩まない私がぐるぐると考え出してでた結論が

 

 

そうだ❗️開運して宝くじを当てて、結婚までにローンを完済させよう🤩

 

 

という安直な案だったのです(笑)

 

 

 

高額当選者のブログを読んだりすると結構何かしら努力している人も多かったので、それに挑戦しようと思います(笑)

 

 

さあ❗️うまくいくかは知らないが、神様の紹介で良い人には巡り合えたことだし

 

また真剣に開運活動にいそしんで、私と家族を幸せにするために頑張るぞ✨

 

2023年は必ず高額当選してやるぞー🤩

 

 

開運生活 実施理由6

 

実は年末に、近所に住む幼馴染が結婚式を挙げていた

 

 

近所の子供会で役員が一緒になって以来、母親同士が数人のママ友で、私は小学校1年生の頃にクラスが一緒で遊んでいた以外は接点がなかったが

 

小中学校の同級生の結婚式ということで、綺麗な姿を見たくてついて行った帰りに

 

近所の土地が売りに出されると聞き、前の持ち主が近所の小さなお店の店主だと聞いていました

 

 

今住んでいるところから歩いて2分…ここなら両親の生活環境も変えずに静かに暮らせるかも

 

と思っていた

 

 

 

弟から相談を受けた次の日、ネットで土地の情報を探したが見つからず、

 

土地的に住宅地としては人気な地区だったこともあり、日当たり良好で静かな土地はすぐに売れてしまうだろうなと思い

 

 

直接前の持ち主にどこの不動産屋に売却したか聞きに行ったところすぐに教えてくれたため、電話で直接不動産屋に問い合わせて売ってほしいと話した

 

 

 

実は大きな畑を6つに分けて作ったうち、日当たり良好な場所は3つ…

 

まだ土地は全く売りに出ていない状態だが、すでに売却した地主の知り合いが問い合わせてあと1つしか残っていなかった

 

 

直接不動産屋に行って聞いたところ、人気の土地なため、手付金がないと抑えられないと言われたため、明日返事をするから抑えておいてくれと頼んだ

 

 

その日の夜、両親に

 

「以前から父が家買ってと言っていたが、本当に買おうと思うがいいかな?近くにいい土地があるが、手付金を払わないと抑えられないと言われたので払ってこようと思う」

 

 

 

今住んでいるところの家賃分を両親からもらって、私がローンを組んで返済していけば、

法的な贈与税はかからない額で収まる上に、私の名義なので特に両親が亡くなった後も贈与の手続きがかからないことを説明した

 

正直両親がお金に余裕がないのはわかっていたので、将来的に本当に困ったら私が住む場所を確保するためのいい手段だと思っていた

 

結婚できなかったらこのまま住めばいいだけの話だし、何より将来親が路頭に迷って辛い思いをする姿だけは見たくなかった

 

家が新しければ、弟に孫が産まれても母も呼びやすいだろうし

 

 

なんとしても自分の力で家族を幸せにするんだという気持ちでいっぱいだった

 

今思うと、変なアドレナリンが出てた気がする(笑)

 

 

事情を説明したところ、両親ともやや放心状態だった

 

 

そりゃ突然だからびっくりするよね(笑)

 

でも私にはもう時間がない

 

 

「いや確かに冗談で言ったけど…」と父はモゴモゴしながらその日反対してこなかったので

 

翌日貯めておいた100万円を引き出して不動産会社に振り込んだ

 

 

でその日の夜に

「今日100万円振り込んで抑えて来たから、今度説明を一緒に聞きに行ってくれる?」

 

 

と言ったところ、両親ともに激情

 

 

「結婚前の娘が何考えてるんだ⁉️家を買うなんてそんなことさせられるはずがないだろ⁉️」

 

 

 

 

なぜ今まで頼まれていたことで、将来にとってベストな選択をしているはずなのに怒られるのかはわからなかったが、怒る気持ちもなんとなくわかった

 

 

親としては非常にまともだ(笑)

 

 

 

効率、利益と感情や倫理は少し離れている時があるから…

 

ただ、ここを逃してはいけない気がして

 

 

土下座をして家を買わせてくださいと頼み込んだ

 

 

買ってあげるのに(笑)

もう契約日が決まっていたから必死だった

 

 

それでも両親は大反対

 

じゃあ勝手に1人で住むからいいですと怒ったら

 

 

更に怒った😂(笑)

 

 

 

母が弟に連絡したら、驚いて翌日葬式ができたと会社に嘘をついて休んで飛んできた🐸

 

 

そして3人にこっぴどく叱られた

 

弟「お姉ちゃんに家を買わせるなんて何考えてるんだ」

 

父「俺は反対している」

 

私「パパが前から欲しいって言ってたんじゃん、買って何が悪いのさ…別にパパたちの金銭的負担は変わらないからいいじゃん。

弟も新築になるから、結婚するならいつでも彼女連れてきていいよ。パパとママの住居問題はこれで解決するから君は安心して家庭を作りたまえ」

 

3人からの説教

 

土下座

 

 

このループだった

 

弟は新年に今年結婚しようと思うと話していた。だから、弟の先の障害として見えるものは先に全て解決してあげたかった

 

 

以前から両親とも、住まいをどうするかという話を時々していたが、こんな形になるとは思っても見なかったんだろう

 

 

私だけではどうにもならず、結局不動産兼住宅メーカーの営業担当の方に説得してもらった

 

 

都会の方では独身女性がマンションを買うのは普通にある話ですとかなんとか一生懸命話してくれて

 

 

結局最後に、

 

「娘に買わせたくないのはわかるけど、この先どうするつもりなの?解決策あげてくれますか?私にはこれが1番円満で無駄がないと思うんだけど」

 

 

とかなんとか3、4日がかりで説得して最後は許しをもらって買うことになった

 

 

やれやれ

 

 

 

 

 

 

 

 

母はずっとずっと欲しかったけど諦めていた一軒家とシステムキッチンが手に入るとわかって大喜びだった

 

高級住宅メーカーではないものの、建売ではなく注文住宅だったのでキッチンや流しのデザインから壁紙まで全部選ぶことができた

値段は比較的良心的だったのでありがたかった

 

 

私はお金は出すけどそういうのには興味がなかったので、昔できなかった分好きにやりなよと両親の自由にさせて、オーダーメイドのカーテン屋さんの話を過去に母がしていたのを思い出し、予算少なめではあったもののカーテンもオーダーにしてあげた

 

2人ともいつも目がキラキラしていて本当に嬉しそうで、この先も支払いは大変だろうけど買ってよかったと心から思えた

 

 

 

頑張った人には必ずいいことがあるという結果を、自分の力で両親に用意できて本当によかった

 

 

 

あと私達のもう1つの喜ばしい点が、本籍ができたことだった

 

 

実はずっとアパートに住んでいて、亡くなった祖父母の家を当初もらうことになっていたので、本籍は祖母宅になっていた。

 

 

それも改めて変えることができて、祖父母の家の負の連鎖が本当に終わったんだと思えた

(お墓とかお仏壇は亡くなった方の供養だから全然いいんだけどね笑)

 

 

 

 

家の発注が一通り終わった頃、弟が彼女にプロポーズし成功

 

夏には両家顔合わせがあった

 

 

兄弟も参加した両家顔合わせだったが、お相手のご家族も本当にとっても良い方で、弟がこれからお世話になる方達がこんなにいい人達で本当によかったと思えた

 

 

 

あれよあれよという間に11月には引っ越しがあり、1月には弟の結婚式が行われることになった

 

 

 

 

私はといえば、ローンを抱えたらなぜか更に仕事にやる気が湧いて(すでにお父さん状態😂)

 

猛烈に働いて気がついたら出世していた(笑)

 

 

両親とも笑顔で弟も家に奥さんを連れて遊びにきてくれる、次の年には犬も飼って幸せいっぱいだった

 

 

なんか結婚しなくてももうこのままでいいかな〜って思ったんだけど

 

家を買う時に唯一父が私に出した条件があった

 

 

 

それが

 

 

「35歳までに必ず結婚する」

 

ことだった

 

 

 

 

 

開運生活 実施理由5

 

幸せな弟を横目に

 

 

私も頑張るぞと思っては見たものの

 

いい出会いは一向に訪れず

 

 

 

釣りしたり、ゴルフしたり趣味が楽しくなってしまい

 

ついでに仕事も楽しくなって

 

 

仕事頑張る→お給料が増える→趣味を楽しむ

 

 

というループに突入してしまい、毎日がとんでもなく充実して楽しくなってしまいました😂笑

 

 

するとあっという間に1年が経ち、冬頃弟に彼女にあって欲しいと頼まれた!(◎_◎;)

 

 

弟を変えてくれて家に平和をもたらしてくれた人だ❗️お礼に何かいいものを食べさせてあげないと❗️

 

と意気込んで高級ホテル最上階のカフェの1番景色のいい席を予約し(笑)

 

 

会ってみたところ

 

 

素朴で優しいとってもいい子だった

 

 

 

うーん、これが条件ではない本当の幸せかと思うと、こちらまで幸せな気分になれた

 

 

 

諭吉を渡してあとは2人でごゆっくりと行って退散した

 

(かっこいい私(`・∀・´))

 

 

 

でお礼がきたあと、弟から更に相談があった

 

 

「実は母に家に連れて来ていいか聞いているが、家が古くて恥ずかしいから嫌だと言っている。そんなことを気にするような子じゃないのに…」

 

 

母の謎の見栄っ張りに笑えてしまった(笑)

 

でも水が漏れてネズミが走って娘が戦っている古いアパートに、弟の大事な人を連れてきたら、弟が恥をかくんじゃないかという母の考えは聞かなくてもすぐにわかった

 

 

母の気持ちはわかるけど、今後遊びに来る回数が減って足が遠のくと、孫が産まれても来てくれなくなって寂しい気持ちになるんじゃないかな

 

 

私はみんなが苦労した分、これからは弟と奥さん、父、母とみんなで笑顔で集まって食事を摂れるような明るい家にしたかった

 

 

もしこのまま私が結婚して家を出ても

いつか両親の住まいをどうするかという問題にはぶつかってくるし

住めなくなってから移動するとなった時に、弟も私も仕事に子育てに忙しくて助けてあげられない可能性もある

自分が困っている親を放置できるような性格ではないことは1番よくわかっていた

 

 

 

 

 

ずっと頭の片隅にあった問題を、今解決する時が来たなと感じた

 

 

 

 

 

「一軒家を買おう」

 

 

 

 

開運生活 実施理由4

 

全てが終わったと思えたと同時に、自分の実家の現実が見えてきました

 

 

 

仮住まいとして住んだアパートも既に住みだして20年近く経っており、老朽化が進んでいました

 

 

ちょうどそのタイミングで水漏れしたり、水漏れの工事をしたらネズミが入って来てしまって、夜な夜な怯える母と怒る父、ネズミと私が戦うという非常にシュールな展開を迎えていました😂笑

 

4匹くらいと果敢に戦い

当時ハムスターを飼っていたので、生まれが違うとこんなにも扱いに格差が生じるのかと複雑な気分になりながら退治していました…

 

 

で、就職した私は6年制大学を卒業して世間に出たら世の中が結婚適齢期に突入しているという事態を知り、

 

まさに浦島太郎

 

 

先輩達に焦らないとあっという間に30過ぎて結婚できなくなるよと急かされ

気が狂ったように月に1回の婚活に出向き活動していました

 

 

でも婚活中いつも、

 

「私が結婚して出ていったら、このアパートにあと10年は住めそうにないし、両親はどうなるんだろう」

 

「果たして人の面倒ばっかり見て、何も残らなかった両親に幸せな時はくるのだろうか」

 

ということばかり考えていました。

特に母は自分の親でもないのにあんなにこき使われて。

 

 

 

 

母は料理が上手なので、いつかシステムキッチンで料理がしてみたいなと1度だけ言ったことがあり、頑張っている母の願いを叶えてあげたくて大学4年生の頃からコツコツコンビニでTOTO BIGを買っていましたが一向に当たらず

 

 

父もたまに冗談で一軒家買って欲しいなと言っていたので(←笑)

 

 

就職してからいつか家を買ってあげれたらなとコツコツお金を貯めていました

 

 

 

 

 

そして社会人2年目の夏、婚活の甲斐もあって望む条件の人とお付き合いすることに

 

 

先輩に唆されて結婚には条件こそが全てだと思っていた私は

 

とっても嬉しかった

 

その人の中身に違和感を途中で何度も感じましたが、見て見ぬ振りをし無理してお付き合い

 

呼び出されたところに行ってデート。

 

行きたいところには連れて行ってくれましたが、

 

全然大切にしてもらえなかったし、虚しい恋愛でした。

 

お相手は悪くありませんが、考え方や性格が合わなかったんだと思います。

だって中身を見てお付き合いを決めたわけじゃないから。

 

私の考え方が間違ってたんだと気づいて3ヶ月でお別れしました。

 

 

 

 

それでも半年間必死に頑張って婚活して望む条件の人とお付き合いできて、

人生で1番有頂天になっていた私は別れてかなり落ち込みました

 

 

仕事もそこそこでいいと思っていたので、先が見えなくなりました。

 

 

ストレスで痩せて落ち込んでいる私を見て、母が菜の花のイベントに連れて行ってくれ

 

 

「焦らなくてもいい人はいつか見つかるよ」

 

と励ましてくれ、母はいつも優しくって涙が止まりませんでした

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなでアラサーの姉が爆裂に落ち込んでいるのとは裏腹に

 

 

社会人になってから弟は帰って来るたび、なぜかオシャレになっていました。

いつもダサくて不潔だったのに😂笑

 

 

年末に私が彼とお別れし、弟が年始に帰って来た時、まだ私が付き合っていると思っている弟は

 

「いやお姉ちゃんがあんまり必死に婚活してたからなかなか言い出せなかったんだけど、僕実は彼女ができたんだよ🥳」

 

 

 

 

母:((((;゚Д゚)))))))

 

私:(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 

 

 

なんと人間不信の弟に彼女ができていたことが発覚(笑)

 

 

弟は元々サッカー部で身長も高め、顔も悪くないので結構モテていてバレンタインもよくもらって帰って来ていましたが

 

 

 

一向に女性に興味がないので、私が代理でメールのやり取りをしていたこともありました

 

 

理由は、私を見ていると世の中の女が皆んな胡散臭いとのこと

 

 

💢

 

 

 

そんな弟に彼女!(◎_◎;)

 

聞いてみると同期の子で、入社した時に研修の新幹線で席が隣になるも

 

 

一言も弟は話さず読書

 

異動した時に部署が一緒になり、女の子から食事に何度か誘い

 

ラインを交換したが、人間不信の弟は証拠を残したくないという理由で電話以外は受け付けず

 

メッセージは1年ほどしてもらえなかったらしい

 

ご飯に行く時も、証拠を残さないために現地集合現地解散(寮だから近くに住んでいるのに)

 

 

というとんでもない失礼な仕打ちを乗り越え、おつきあいに至ったらしい

 

 

 

弟の人間不信が治ったのはまさにこの彼女のおかげで、笑顔も増えてきてだいぶ穏やかになったので姉としては純粋に嬉しかった

 

 

前の彼氏はすぐにお別れしてしまったが、弟のお付き合い報告と私に大切なことを気づかせてくれたのは本当にありがたかった✨

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開運生活 実施理由3

 

紆余曲折あり就職した1年目の夏

 

 

施設生活も10年を越していたおばあちゃんが亡くなりました

 

 

おばあちゃんの最期は看取ってあげることができましたが、救急車に呼ばれた時もおばさんは買い物があるからと来ませんでした。

 

 

あんなに可愛がってもらった、おばさんの子供も金曜日の夕方に危篤だと連絡したのに、美容皮膚科に行くからといって亡くなった2日後にゆっくり来ました。

1人は卒業旅行に行くからと、葬儀に来ずにヨーロッパに行ってしまいました。卒業旅行は一生に1度だからと言いましたが、1人で行っていたし、おばあちゃんの葬儀こそ1回なのに…

 

 

 

おばあちゃんは母や私達にはあんなに嫌味ばかりいって、おばさん達を可愛がったのに、最期まで面倒を見てくれたのも駆けつけて来てくれたのも、私達だけだと思ったらなんだか切なくなりました。

 

 

 

葬儀も全て終わった後、貯金もほぼ底をついていたことを知り、うちにはお墓と仏壇だけが残りました…

 

 

それでもこの20年に及ぶ不幸の連鎖がやっと終わったんだなと思えました

 

ああ、これで自由だって

 

 

 

そこではたと頭によぎりました

 

 

「頑張って面倒ばかりを見続けたパパとママには一体何が残ったんだろう」

 

 

 

4に続く

開運生活 実施理由2

おじさんが亡くなった為

 

 

土地売却の日付を別の日にして、小さな葬儀ですが両親がおじさんのためにあげました

最小限のお世話になった数人の親戚だけで行うつもりでしたが

 

それでもどこから聞いたのか、友達が数人きてくれました

 

どうやら全員お金を借りていたらしく、踏み倒されてしまっていたようですが、それでも何も言わずただお悔やみにだけ来てくれました

 

いいところもたくさんあったんだと思います

 

おじさんもどこかでボタンのかけ違いが合って負の連鎖からずっと抜けられなかったけど、楽になれたかなあと思えました

 

 

自己責任といえばそれまでですが、人には色々な状況や理由、感情が複雑に絡み合っていて、たまたま弱い心に負けてしまったりすることがあるので、亡くなってしまった人のことを悪く言う気にはなれませんでした

 

 

でも葬儀中、離婚した家族が、あったこともない親戚をぞろぞろ連れてやってきました

 

私達は苦労したからお金をよこせと言うようなことを言ってきたみたいです

 

昔の裕福な頃を知っていて、途中から家にも来なくなったので知らなかったんだと思います

 

父がもうお金はありませんよと言っても、しばらくは信じなかったようです

 

 

おじさんがプライドを捨てて、おばあちゃんの通帳からお金を抜いて授業料を払い続けて、いつからか知りませんが実はマンションも買っていたみたいで、挙句の果てに家から追放されたのに、お悔やみよりまだお金の無心に来るのかと思ったらなんだか切なかった

 

おじさんはアルコールとギャンブル依存で家族にも暴力していたみたいなので、捨てられても仕方はないから、離婚したご家族も被害者ではあるんですが

 

 

 

 

 

と、おじさんが亡くなりおばあちゃんが老人ホームに入って、少しだけ家に落ち着きが訪れました

 

おじいちゃんが役員だったこともあり、遺族年金が比較的多くもらえたおかげで、貯金は切り崩しているものの、すぐに困るようなこともありませんでした

 

 

でも実は私の家にも影響は出ていました

 

 

おじいちゃんが亡くなった中学生の頃から、おじさんやおばあちゃんの問題のストレスで家の中はギスギスして喧嘩だらけでした

 

父も仕事が1番忙しい時だったので相当なストレスだったと思います

 

 

私は鬱っぽくなってしまい、学年1.2番だった成績が徐々に落ちていき、学校から何があったのかと心配されて面談したり、原因不明の眩暈や耳鳴り手足の痺れで自律神経失調症と診断を受けました

 

 

 

第一志望の進学校に落ちて私立に行きましたが、体調がさらに悪化して進学ギリギリの日数しか通えず、出席しても座っているだけで授業を聴くことができませんでした

 

ただ良い子ばかりで人に恵まれていたのでやや不登校気味でも人間関係で つらい思いはせずに済みました。宿題見せてくれた子もいて、本当にありがたかった。

 

 

なので今でも皆んなに会いたくなることがあって、コロナ前は年に1回幹事としてクラス会を開いていました(笑)

 

 

で、私立にはなりますが希望していた資格職の学部に合格して、奨学金を借りてなんとか大学生になれました。

全く勉強なんてできる状況じゃなかったのでしてなかったけど、元々多少頭はあったのかもしれません。それは親に感謝しないといけないです。

 

おじさんが亡くなった時、私は大学2年生くらいだった気がします。

 

 

 

 

私はなんとか資格を取って将来親孝行がしたいという頭があったので、ボロボロでも学校に出席日数確保しにいきましたが、弟はそうではありませんでした。

 

 

反抗期と部活のいじめ、家でのストレスが重なり高校生になった頃から登校拒否になってしまいました。これは甘えではなく当然だと思います。

父には妹もいましたが、若い頃はいつも私達兄弟は嫌なことを言われていましたし、おじいちゃんが亡くなって家が荒れ出した頃からパッタリと来なくなり、全部を父と母に押し付けていました。

 

一見人当たりがいい人で人前では思いやりがあるふりをしますが、おばあちゃんが吐血して救急車で運ばれた時には買い物に行くと言う理由で来なかったような人です(笑)

 

そういう人なんだなと私は冷静に思っていましたが、弟は優しいので親族の人間関係があまりにドロドロで人間不信になってしまったみたいです。

 

 

親は動揺と不安から弟にキツくなってしまい、弟はさらに家から出られなくなるという負のループをたどりました。

母は毎日泣いていました。

なぜか私は毎日弟と父に怒鳴られたり罵声を浴びせられ、弟には殴られていました😂笑

おいおいみんな私に当たるなよと思っていましたが、今の状況では仕方ないかと諦めつつ自分は体調を崩すという見事なまでの負のループ

 

 

私はこの苦労も一生続くとは思っていなかったので、それが終わった時に弟が困らないようになんとか弟の高校退学だけは避けなければと思い、隣の県に住む母方の祖母に電話をかけました

 

 

「おばあちゃん、弟が登校拒否で家の生活に参っているから外に出してあげたい。申し訳ないけど、学校休んでいるならうちにおいでって言ってあげてくれないかな」

 

事情を説明すると、祖母はすぐに弟に電話をかけてくれました。

 

祖母と弟が電話をかけている間に、母に当面生活できるものと学校の用具一式持っていくように説明して、向こうに住んで電車で通学することを提案。

 

 

弟はすぐにおばあちゃんが電話をくれたから行きたいと言ったため、道具を一式持って隣の県に🚗

 

 

そのままお試しで住んでみることになりました

 

近所に住むおじさんも、ちょうどおじいちゃんが入院したタイミングでおばあちゃんが心細いから助かるよって言ってくれました。

 

 

 

実家からなら自転車で30分で通える学校に、始発の電車で2時間かけて通う生活が始まりました🚃

 

それでも悪い環境から離れて、弟は少しずつ元気になって祖母の手前もあるので、引っ越した翌日から学校に通えるようになりました。

 

 

 

で、なぜか弟は私と同じ高校に入ってきたので(多分シスコン)学校で元気か生存確認を行なっていました。母からの渡すように頼まれたものがあると、私の教室に来ていましたが、クラスの子たちが弟を歓迎してお菓子をくれたり可愛がってくれたのでありがたかった。

 

 

で、弟は不安定な日々を乗り越えなんとか卒業。

私と同様勉強なんてできる状況じゃなかった上に、勉強苦手だったのでどうなることかと思いましたが、私立の強みで推薦で大学に行けることになりなんとか大学入学。

 

 

心の傷っていうのはなかなか癒えないみたいで、大学に入っても時々不登校気味になりなったり、家族とも上手くいかず

 

 

父も弟が一緒に住めないことがショックだったみたい

 

実家に来ても喧嘩して暴れて帰っていく日々は続いていました。

 

そしてなぜか時々罵声を浴びせられ殴られる私😂笑

私も正論ぶつける癖があるから怒ったんでしょうけど

 

 

 

 

でももともとは優しい子だから、いつか克服してよくなるといいなあと見守っていました

 

母は相変わらずいつもピーピー泣いていたので慰めていました(笑)

 

 

 

そして私は6年制、弟は4年制の大学をまたも2人揃って留年ギリギリを滑り込み卒業。就職しました✨笑

でも私も自律神経失調症による体調不良は続いていて、弟も人間不信と不安定な感じは変わらなかったけど

あの時は本当に嬉しかった。

 

 

 

 

その3に続く

 

開運生活 実施理由1

 

昨日ブログを書いたり、過去の記録を振り返ったら凄く気持ちが前向きになれたので

 

 

また開運生活ブログを再開しようと思います😊

 

 

 

そもそもなぜ私が宝くじ当てたいかなんですが、

 

結婚するまでに住宅ローンの返済を終わらせたいのと、親にお金の心配のない生活をさせてあげたいから❗️

 

 

独身なのになぜ住宅ローンかと言いますと3年前に家を購入したんですよ(笑)

 

 

 

父の実家は元々それなりに裕福だったんですが、長男が少し問題のある性格だったので

 

次男の父が家を継ぐってずっとおじいちゃんに言われていて

 

 

いつか2世帯住宅を建てて、土地と財産は譲渡してあげるって家族全員言われてたんです。

 

 

祖父は上場企業役員、祖母は小さな美容院をやっていて、家にはシャンデリアやグランドピアノがあるような家で結構裕福なはずなのに

 

 

22歳で嫁いだ母は上の話をぶら下げられて365日家中の家事と美容院の手伝いを20年くらいやっていたんです。お給料月3万円で。一緒に住んでなくて近所に住んでたから家事は2倍量

 

しかも24歳くらいの時におばあちゃんに取れって言われて、美容学校にも行って美容師の資格も実費で取っていました

 

 

おばあちゃんの性格が少し難ありなので、いくら文句言わずに頑張っても嫌なことばかり言われていた記憶があります

 

 

ストレスで6年くらい私ができなかったみたい、今で言うと不妊ですよね🤔

 

 

 

ただ私が幼稚園に入った頃から雲行きが怪しくなってきて、おじいちゃんがうつ病になりました

 

長男のおじさんが借金癖があったんですが、その額が増えていったみたい

 

仕事も続かないし、お酒とギャンブル、スナックみたいなところへ行くのがやめられなかったようでした

 

 

おじいちゃんは多分総額1億くらいは返したんじゃないかなと思います

 

おじさんは困るとおじいちゃんに泣きついて、おじいちゃんはそこらじゅうの闇金から電話かかってきて、

「もう息子にお金を貸さないでください」

と謝ってお金を返し続けてたみたいです

 

 

時々うちにもおじさんはお金を借りにきて、幼稚園の時に夜目が覚めると深刻そうな顔で両親が話している姿を見たことがあります

 

 

いくら役員だった祖父でも、定年退職後の収入は減っていたし、息子を信じてもうお金は借りるなといって止まらない督促状に、完全に参ってしまったんだと思います

 

 

私の両親は、自分達でなんとかしないとと思って、一軒家を買おうとしたらしいですが、おばあちゃんに上の文言を言われて大反対にあい、泣く泣く諦めたみたいです

 

 

お母さんはお父さんに何かあった時、自分で払える自信がなくて反対を押し切って買えなかったって言っていました

 

 

 

 

で、私が中学生の時、祖父が亡くなってさらに状況は悪化

 

 

おじいちゃんがいなくなって、美容院を畳んで母が行かなくなると

おじさんの借金癖はさらに悪化

 

 

おばあちゃんは認知症になり、介護と称しておじさんが家に住み着くようになりました

何度も暴力をふって何度も近所の人が通報して警察沙汰になっていたのを覚えています

 

 

実はこんなおじさんでも家族はいて、奥さん、娘、息子がいました

 

その時、子供が私立の大学に通い出した頃でおばあちゃんの通帳からお金を引き出し続けて子供の授業料を奨学金なしで4年分払い切ったみたいです

 

 

おじさんはダメな人だったけど、根は心優しい人だったので子供を大学に出してあげたかったんだと思います

 

やり方はダメだけど😂笑

姪っ子の私達にも優しかった記憶があります

 

 

でも無惨にも、2人が大学を卒業した瞬間離婚を言い渡されて

 

さらにアルコール中毒、ギャンブル中毒は悪化。寂しさが加速させたんだと思います

 

手に負えずに、祖母を説得して老人ホームに入れました。

 

 

ずっと入りたがらなかった祖母ですが、暴力の悪化が重症で、親戚のおばさん達も仲介に入って説得してくれました。

 

 

その時に初めて通帳類を見せてくれて、お金があまり残っていないことに気づき、当時70歳の祖母の年齢を残りの生きる年数で考えた時に、土地を売らないといけないと言うことになりました

 

 

祖母は性格に問題があるせいで、老人ホームに入る度にいじめをやっては出されてを繰り返して、結局高い有料老人ホームしか置いてもらえなかったからです

 

 

母はしょっちゅう老人ホームに呼び出され謝り続け、

手続きまみれで本当に大変だったと思います

 

 

でも土地を売ると言うこと、これもなかなかうまくいかなかった

 

 

両親がおばあちゃんの通帳を回収した為、財源がなくなったおじさんはさらに追い込まれます

 

酔っ払って夜な夜なうちに電話かけたり、アパートの駐車場に気づくと座っていたりしました

 

 

もうダメだと思った父は、おじさんを自己破産させて生活保護申請をさせました。

 

 

仕事盛りで休みは全然ないのに、貴重な休みの日に弁護士のところに連れていったり、よくこんなおじさんの面倒を見るなと思っていました

 

 

「どうしてパパがそんなことやらないといけないの?」

 

と聞いたことがありますが、

 

 

「もう兄貴もどうしたらいいかわからなくなっちゃったんだよ。仕方ないんだよ」と言っていました

 

 

結局自己破産させて生活保護を受けても、お金が支給されるとお酒とギャンブルを繰り返すことはやめられず、家を売られると住むところがなくなるので抵抗を繰り返しました

 

 

酔っては救急車に運ばれるのを数回やって、病院から電話もかかってきていました

 

 

ただもうどうにもならなくなってきたので、父が土地の売却手続きを始めても、おじさんは抵抗して家から離れませんでした

 

 

 

ある日、家に警察から電話がかかってきました。

 

 

おじさんが駐車場で死んでいるから身元確認にきてくださいと

 

 

 

母が父に電話で伝えると、それはさせられないと言って父が急いで仕事を早退してみにいくと亡くなっていたそうです。

 

 

昔から知っている近所の人が気にかけて時々覗いてくれていて気づいてくれたみたいです

 

 

 

土地売却の前日、突然のことでした